Title: Damian Flanagan
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Damian Flanagan

記 事 |
毎 日新聞
日 本文化をハザマで考える

ダ ミアン・フラナガンの 検索結果

                                                 

第47回 アンソニー・スウェイト 東洋と西洋をつないだ詩人
     

質問:陰鬱で、辛辣(しんらつ)なユーモアのセンスがある英国詩人、フィリップ・ラーキンと火山の噴火のように激しい小説家で戯曲家の三島由紀夫との共通点は何だろうか? 表面的には、たいしてないように思われる。

  

2022/4/23


第46回 日本とポルトガルとの歴史的関係をもっと知ろう
     

近代日本はいつ始まったのだろうか。今日読むもの、テレビで見るものから察するに、それは1853年、米国のフィルモア大統領が派遣した「黒船」が東京湾に来航し、日本に開国を迫った時に始まったということになっているようだ。

  

2022/3/26


第45回 日本のトイレにまつわる暗くて深い駆け引き
     

昨年5月、奇妙なニュースが日本の新聞に載った。ある小さい町の町長が専用トイレを町長室に設置した、というのである。  「不必要な設備ではないか」と、町議会で反対派のリーダーが非難した。副町長は、そのトイレは「非常事態」の時に必要であり、首長専用のトイレを持っている地元地域の自治体は他に七つあると言い訳をした

  

2022/3/12


第44回 私の軽井沢の夢
     

私は幸運にも20代、30代に日本各地を旅することができた。もう訪れていないところはない、と言えるほどになった。しかし、全く興味がないところが一つあった。それは浅間山のふもとの山あいのリゾート、軽井沢である。有名な避暑地で、過去120年間、洗練された隠れ家を求める有名人や富豪たちの保養地だった。

  

2022/2/12


第43回 この時代の名を私たちはまだ知らない
     

3年前、徳仁(なるひと)天皇陛下の即位とともに、「令和」の時代が始まり、それを機にその名に使われた漢字の意味について、さまざまな論評が交わされた。

  

2022/1/29


第42回 サンタクロースもアンパンマンのように食べられたらいいのに
     

2週間前だったか、キッチンにいた私の9歳の娘が言った。宿題として、クリスマスについての何か新しい話を作らなければならないと。すると13歳になる息子が、「サンタに出会う(meet)子供の話はどう?」と言った。

  

2021/12/11


第41回 マカロニウエスタンが黒澤明から学んだことの本質とは何か
     

最近、マカロニウエスタンの典型とも言える「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」の3作を見直した。これらは、「ドル箱三部作」と呼ばれ、ずっと私の心の中に引っかかっていた。

  

2021/10/16


第40回 日本語には性別がない?
     

最近、偶然見たツイートに、日本語には19世紀末まで「彼」と「彼女」の区別がなかった、とあった。19世紀の末になって、ヨーロッパの言語から「She」という言葉を翻訳しなければならなくなり、「彼女」という言葉が作られた、というのだ。それ以前は、性別に関係なく、「かれ」という言葉が使われていたらしい。

  

2021/10/2


第39回 アジアとアフリカの文化融合を夢見る芸術家
     

南アフリカのズールーランドで先日、ほこりっぽい道をドライブしていて、小さいアートギャラリーに出くわした。そこに飾ってあった何枚かの絵が記憶に残っている。その絵には、20世紀の初頭にズールーの戦士たちがはるか日本まで旅をすることになった経緯が示され、神社や日本庭園など日本の景色の中に戦士たちが描かれていた。

  

2021/9/20


第38回 「先生」の空間を共有したいという欲望は、尊敬の念の究極の証し
     

著名な作家であり映画の監督、製作者でもあるロジャー・パルバースは昨年、自伝的著書「ぼくがアメリカ人をやめたワケ」を日本語で出版した。

  

2021/9/3


第37回 人をとりこにする、ソールズベリー大聖堂と金閣寺
     

南アフリカ・ケープタウンの東に、「カルー」という半砂漠地帯がある。以前、そこをドライブしている時、グラーフライネという、人口3万5000ほどの町を見つけ、すっかり気に入ってしまった。道は魅力的で、歴史を感じさせ、どこもかしこも満開のジャカランダ(紫雲木=しうんぼく)で覆われていた。

  

2021/5/12


第36回 熊本 果たして天国か地獄か
     

熊本は文学の歴史に富んだ町であるが、そこに住んだ知識階級に必ずしも愛されていたわけではなかった。

  

2021/4/21


第35回 イギリス人に洞察と、困惑と、驚きをもたらす日本人の観点
     

外国語を習う主な理由といえば、全く違った文化を、その文化の中で育った人たちの目を通して体験できることだと考えがちだ。しかし、その言語を通じて自分の国を、新しい見方で見ることができるのも同じく貴重なことだろう。ただし後者では、驚くべき洞察を得られるとともに、困惑させられることも多い。

  

2021/4/9


第34回 タットンパークの日本庭園 日本そのものより日本をしのばせるファンタジー
     

茅葺(かやぶき)の門を通り抜けると、そこは別世界のようだ。ハスの葉で埋まった池の中の築島に、鳥居が穏やかに立っていて、そこにかかった繊細な太鼓橋があなたを誘う。小川を横切って曲がりくねった小道が、石灯籠(いしどうろう)を過ぎて茶室へと続いている。杉の木の下に生えているコケが時空を超越し、静けさを醸し出している

  

2021/3/16


第33回 金沢賛歌 日本の心は地方に宿る
     

私のアメリカ人の友人、デビッド・ジョイナーが今年、「金沢」という題名の本を英語で出版するそうで、私はとても楽しみにしている。

  

2021/2/22


第32回 禅に通じるレイモンド・カーバーの洞察
     

アメリカ人作家、レイモンド・カーバーの代表的な短編「大聖堂」(1981年)を読んでから何年もたつので、もう一度読んでみようと思った。その筋書きはこんなふうである

  

2021/2/3


第31回 日本史におけるパンデミックの影響を再考する
     

新型コロナウイルスの大流行(パンデミック)が始まったころ、日本のコロナ対応についての報告を読んだ。そして、ヨーロッパと比べて、日本ではどうしてコロナによる死者がこれほど少ないのだろうと考えていた時、これまで気が付かなかった、非常に重大な歴史的事実を発見し、驚いた。

  

2021/1/21


第30回 ニーチェを生き、ニーチェを呼吸した三島由紀夫
     

第二次世界大戦が終わりに近づいていた頃、恥ずかしがり屋で、内面の動揺とフラストレーションで煮えたぎっていた早熟な19歳の少年は、「悲劇の誕生」という本を見つけた。それは、絶対に忘れることができない、今までの悩みから解放された、自己啓示の瞬間だった。

  

2020/11/20


第29回 ジェームズ・ボンドの日本ツアー
     

私は時々、日本とジェームズ・ボンドとのつながりについて講演をする。その際、作家のイアン・フレミングが1962年に2週間日本を旅して回った時、実際にどこをどう回ったのかについて、聴衆の方は興味を持つようだ。ある旅行会社からは、現代の旅行者のために「ジェームズ・ボンド ツアー」なるものを作ってはどうかと提案されたぐらいだ。64年の小説「007は2度死ぬ」で、筆者フレミングはボンドを同じような日本の旅に送っている

  

2020/11/5


第28回 東京大学はその文学における伝統にもっと誇りを持つべき だ
     

東京の雑司ケ谷霊園には、ジョン・ローレンス博士の墓がある。世話をするのは東京大学だ。彼は1906年から1916年に亡くなるまで、この大学で英文学を教えていた。今日ではあまり知られていないかもしれないが、博士は日本文学史において、興味深い役割を担った人なのである。

  

2020/10/17


第27回 歌舞伎の鋭い心理的洞察
     

私はいつも歌舞伎について、あの素晴らしい芝居だけでなく、その中に隠されている鋭い心理的洞察も、もっと一般に高く評価されるべきだと思っている。  勧進帳のような劇は、世界の歴史においても一、二を争う秀作であろう。めったに味わえないほどワクワクして、目を見張るような演劇体験ができるのだが、その素晴らしさの主な理由は、日本とはさして関係ない。勧進帳は、自分の人生を日々どうやって生きていくべきかについての深い知恵を与えてくれるのだ。

  

2020/9/19


第26回 八雲とゴーギャンがマルティニークで探したこと
     

フランス人の画家、ポール・ゴーギャンが1887年にカリブ海のマルティニーク島で描いた絵を何枚か見て、それが私たちに何を言おうとしているか考えてきた。1890年に日本に来て、その後名前を小泉八雲と変えた、あのラフカディオ・ハーンも、ゴーギャンと同時期に、同じ島を訪ねたのはとても興味深い。ただ、2人が出会った形跡はない。

  


第25回 日本語では、「愛している」と直接には言わずに
     

「小説家の漱石は日本語では、直接『愛しているとは言わずに、月がきれいですねと言う』と言ったんですが、ご存じでしたか?」  私はこの話を聞いたことがなかったが、日本ではよく知られているようだ。

  

2020/6/10


第24回 007は日本語がペラペラ?
     

ジェームズ・ボンドの5番目の映画「007は二度死ぬ」で、ボンドは日本に派遣される。彼の上司Mの秘書、マネーペニーが彼に日本語の辞書を渡すが、彼はすぐにそれを投げ返して、「ケンブリッジの時、東洋言語で首席を取ったのを忘れたのかい」と言った。

  

2020/6/1


第23回「葉隠」は日本で最も奇妙な本だ
     

「最も奇妙な日本の本」という賞があるなら、それを獲得するのは「葉隠」に違いない。「葉隠」は武士道(というより後に「武士道」と呼ばれるようになったもの)についての注釈を、北九州の佐賀・鍋島藩の高級藩士、山本常朝がまとめたものである。同藩士の田代陣基が、1709年から1716年の間に2人の間に交わされた会話をもとに筆録している。

  

2020/5/11


第22回 三島はなぜ、灯台守の青年に手紙を送ったのだろう
     

新聞で読んだのだが、三島由紀夫が1953年から65年にかけて鈴木通夫という青年に送った9通の手紙が2年前、山梨県山中湖村の三島由紀夫文学館で展示された。手紙を受け取った当時、鈴木氏は三重県の離島、神島の灯台で、通り過ぎる船の記録をとっていた。  鈴木氏はこの時期に三島から受け取った手紙のうち9通しか残していなかったが、手紙のやりとりは三島が死ぬ70年まで続いたらしい。

  

2020/4/21


第21回 黒船がやってくる14年前、すごい女性が野蛮な島を訪れた
     

昨年の休みに、私は地中海のマヨルカ島周辺を旅行して回った。イギリス人にとっては、海外旅行といえば最初にここに来ることが多いだろうが、私は20年もかかった。  マヨルカ島に住んだ夫婦の中で、一番有名なのは、間違いなくフランス人の小説家、ジョルジュ・サンド(1804~76年)と、その愛人でありピアニストのフレデリック・ショパン(1810~49年)だろう。彼らは1838年の11月から翌年3月まで滞在した。サンドの旅行記「冬のマヨルカ島」(日本語訳「マヨルカの冬」)はさまざまな言語で売られている。

  

2020/3/28


第20回 「スター・ウォーズ」のオビ=ワン・ケノービは「こころ」の先生に由来しているだろうか
     

初代の「スター・ウォーズ」が、日本文化の影響を受けていることはよく知られているので、いまさら言うまでもない。ジョージ・ルーカスが黒澤明の映画「隠し砦(とりで)の三悪人」(1958年)から多くの筋を取ったことは確かである。この作品は、口げんかの絶えない貧しい2人の農民が、お姫様を守って敵の陣地を行くという話である。ルーカスはそれを、遠い昔の、はるか離れた銀河系を舞台としたサイエンスフィクションに仕立て上げた。

  

2020/3/12


第19回 一流の翻訳が持つ影響力
     

真に「一流の傑作」といえ、それ自体がアイデンティティーを持つ翻訳というのはめったにない。日本文学においては、文学作品の翻訳は数多く、そのほとんどが使えるものだが、たまにはひどいのもある。

  

2020/2/3


第18回 ローレンスや三島の太陽に対する崇拝心は、暗闇の中に発生した

 テラスで目を閉じて、アフリカの海岸に向かって日光浴をしていると、英国の小説家、D.H.ローレンスと彼の短編「太陽」について考えが及んだ。ローレンスは生涯を通じ…

(2020年1月21日)


第17回 「漱石山房」で夏目漱石は、心理的な「山脈」という風景を作り上げた

 先日、東京にある漱石山房記念館を初めて訪れた。2、3年前にオープンしたばかりの記念館は素晴らしかった。非常にモダンで魅力的な建物で、講演会用のホール、漱石に関…

(2019年12月29日)


第16回 ディケンズのロンドンと村上春樹の東京は一本の線でつながっている

 村上春樹は今年で70歳になった。そのせいか、彼の作家人生についての回顧特集が多く出ている。村上の作品を読んだ人は、まるで鮒寿司(ふなずし)を食べた人のように、…

(2019年12月21日)

第15回 どうしてもミナミに行きたい

 「南に行かないか?」 去年、私が一番古い友達と一緒に新幹線で名古屋から西へ向かっていた時、その友達が突然言った。午前中は、雨と霧の中を、他の友達と一緒に、歴史…

(2019年11月20日)


第14回 書道は世界の偉大なる芸術へとつながることができる

 私は以前、書道というものをお茶や盆栽、生け花と同じようなものだと思っていた。どれも由緒ある伝統を持っているが、あまりにもかしこまり過ぎている上に古臭く、しかも…

(2019年10月24日)


第13回 イギリス国旗はためく日本の田舎町

 日本の北のはずれの、何の変哲もない町の川沿いに、イギリス国旗がはためいている。ここは、その地域で一番有名な文学者、詩人であり童話作家である宮沢賢治(1896~…

(2019年10月8日)


第12回 馬にまたがる三島由紀夫

 三島由紀夫の様々な写真を見る機会があり、すっかり興味をそそられた。その一つは、彼がまだ若いころ、馬にまたがっている時のものだった。 三島が小説家として名を成し…

(2019年10月1日)


第11回 面白い日本文学の形態が新聞の1面下に

 日本ならではの俳句や短歌に興味を持つ外国人は少なくない。私は、正岡子規や萩原朔太郎のような詩人のことは尊敬する。ただ、実を言うと、俳句や短歌ほど短い詩にはさほ…

(2019年9月18日)


第10回 東アジアの国々の人々が初めて箸を知り、キッシンジャーのように面食らった時

 箸というものは、東アジアの文化になくてはならない物である。そのため私は何千年も昔から、中国で使い続けられてきたものと思い込んでいた。しかし、最近、エドワード・…

(2019年8月20日)


第9回 日本の地方都市は、直接その独特な文化を世界に発信したい

 最近仙台に行った時、私はこの都市が、いかにさまざまな文学的な繋(つな)がりを持っているか、ということを改めて知った。たとえば、中国人作家、魯迅は20世紀初頭、…

(2019年7月31日)


第8回  物を見えなくしてしまう文化や世界の新しい見方

 最近、慶応大学の佐藤元状教授に、教授の新作「グレアム・グリーン ある映画的人生」のサイン本をいただいた。佐藤教授は、いかにグリーンが映画、特にヒチコックやラン…

(2019年7月17日)


第7回 ブードゥー教の儀式に強い興味を持ったジェームス・ボンドと三島由紀夫

 1954年に出版された007ジェームス・ボンドの小説第2作「死ぬのは奴らだ」で、作者のイアン・フレミングはボンドをニューヨークに送っている。ボンドはホテルの一…

(2019年7月9日)


第6回 漱石のような作家が使う言葉の逆の意味

 15年ほど前であったか、大阪でアイルランド人のバーテンダーと「やばい」という言葉について話し合ったことを覚えている。その言葉は、もともとは犯罪者が警察に捕まり…

(2019年7月2日)


第5回 浮世絵を掛ける

 20代後半から30代前半にかけて、私が関西で借りていた質素なワンルームマンションには、鈴木春信(1725?-1770) の「The Love Letter」と…

(2019年5月30日


第4回 変わりゆくチェスと将棋の「クイーン」

 2年ほど前、私は8歳(当時)の息子にチェスを教えた。驚かされたことに、ほんの2、3日もすると、息子は自分でゲームのルールを変え、私に教えてくれた。非常に面白い…

(2019年5月21日)







第1回 歩く喜び

英 国人旅行作家、ブルース・チャトウィン(1940~89年)は、歩くことの重要さを、情熱を持って信じていた。人間の問題は、そもそも定住して動き回らな くなったこと…

(2019 年3月18日)


第2回 西洋美術の「鏡」が日本の小説に与えた影響

  昨春、ロンドンのナショナル・ギャラリーで展覧会があった。それは、フランドル人画家、ヤン・ファン・エイクの有名な15世紀の絵画「アルノルフィーニ夫 妻の肖像」がビ…

(2019 年3月27日)




第1回 歩く喜び

英 国人旅行作家、ブルース・チャトウィン(1940~89年)は、歩くことの重要さを、情熱を持って信じていた。人間の問題は、そもそも定住して動き回らな くなったこと…

(2019 年3月18日)


記事 キョー ドー東北 (7.1.17)
私小説を超えた「門」(共 同通信、 2004年3月
世界文学のスーパースター夏目漱石(漱石全集、月報21、2003年12月
文豪•漱石は世界レベル(日本経済新聞、2003年10月10日)
守るべき「亀井静香的」な暖かさ(Newsweek、 2003年9月24
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関連記事 ミシマの時間 (毎日新聞、2015年2月25日
夏 目漱石 英国人がどう読 んだの?(世界日報、2008年6月29日
「倫敦塔」の英訳本を母国で出版 (毎日新 聞、2005年4月13日)
英国で漱石短編集出版 (神 戸新聞、2005年1月25日
英語で読むロンドンの漱石 ダミアン• フラナガン氏インタビュー(英国ニュースダイジェスト、2005年1月20日)  
英国人のすぐれた漱石論 (奈良新聞、2003年12月21日)
漱石のメジャーデビューは… (産経新聞、2003年12月13日
気鋭の肖像―文芸評論家ダミアン •フラナガン (神 戸新聞、2003年 12月9日
訪問 ダミアン •フラナガンさん (北 海道新聞、2003年 10月10日
漱石の魅力を日本人に (読売新聞ヨーロッパ版、2003年9月9日)
漱石はトルストイらをしのぐ小説の王様です (毎日新聞、2003年7月21日)
漱石のなぞに新説を唱える (中日新聞、2003年7月20日)


新聞記事 |

キョー ドー東北
7.1.17


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2003.9.24�NEWSWEEK 
守るべき「亀井静香的」な温かさ


視点 日本の有権者が待ったなしの改革を求める気持ちはわかるだが欧米のように、すべてを無駄と切り捨てることが必要なのか

 10月、私がひと夏を過ごしたイギリスから戻ってくるころには、自民党総裁選は終わり、日本はさらなる改革に踏み出しているだろう。裏取引や利権体質、 派閥といった自民党の悪しき伝統を受け継ぐ亀井静香・前政調会長ら保守派の候補は、まちがいなく敗れ去っているはずだ。
 世界第2位の経済大国の国民が求めているのは、待ったなしの改革だ。だが果たして、日本のすべてを変えてしまう必要があるのだろうか。
 関西国際空港に到着し、西宮まで電車に乗ると、古びた建物やむき出しの電線といった灰色の風景が続く。だが緑豊かで広いイギリスの家から、なんの変哲も ない日本の郊外の窮屈なアパートに戻ると、私の心は浮き浮きしてくる。
 私はこの10年ほど、イギリスと日本を行き来する生活を続けてきた。家の近所でママチャリを乗り回したり、商店街をぶらぶらしたり、時刻表どおり動く電 車で大阪に繰り出したり。こうしたすべてが日本における生活のささやかな楽しみとなり、決して飽きることはない。
 それ以上に楽しみなのが理髪店だ。行きつけの理髪店では、シャンプーをしてから髪をカットし、ひげを剃り、蒸しタオルを顔にのせ、肩までもんでくれる。 機械的に髪を切るだけのイギリスの理髪店とは大違いだ。
 もちろん、これは日本の芸術でも伝統文化でもない。だがこの手の日常のささやかな喜びは、日本に住む多くの欧米人にとってこのうえなく魅力的に映る。
 大半の欧米諸国では、コスト効率を追求したせいで、こうした喜びが失われてしまった。イギリスのガソリンスタンドでは、従業員が走り寄って窓をふいてく れることなどない。店員もタクシーの運転手も無愛想だし、夜道を歩くのも安全とは言えない。
 店員の顧客への気遣いや自治団体の市民サービス、信頼のおける公共交通機関……。これらを「無駄」と呼 び、切り捨てる欧米式改革を行うことで短期経済見通しが回復するというなら、日本にはそんな改革など必要ないだろう。
 欧米では、車や大渋滞、巨大なショッピングセンター抜きの郊外生活などありえない。母親が自転車の後ろに子供を乗せ、前のかごに買い物袋を入れて、近所 を楽しそうに走り回る光景を目にすることはできない。


地域社会のもろい日常
 亀井は確かに、古い自民党の代表かもしれない。だが地域社会に欠かせない零細な商店を守ろうという彼の主張は、まちがっているのだろうか。
 私が、エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』などの日本論を読んだのは、まだケンブリッジ大学の学生だった15年前のことだ。これらの 本に描かれた日本は、まるでスーパーマンの国だった。企業も役所も市民に優しい。国家は、近視眼的で非情な欧米社会よりも将来をしっかり見据えている- -。
 だが89年に株価が下落を始めると、状況は逆転した。「失われた10年」を経た今では、日本の社会と行政システムすべてが根本的にまちがっているように もみえる。
 とはいえ、エコノミストはすぐに自説を変えるものだ。ほんの数年前まで、社会の結束力を高めるとして終身雇用制度を称賛していた人々が、今では若い才能 を抑えつけ、労働の流動性を阻害する要因だと述べている。社会の先見性を表すとされた公共事業も、現在は途方もない税金の無駄使いという位置づけだ。
 言うことがころころ変わっても、エコノミストの名声に大して傷はつかない。だが、地域社会のかけがえのない日常生活は脆弱だ。地元の商店やサービス業者 が、コストを厳しく削減した大型店の攻撃に突然さらされれば、壊滅的な影響を受けかねない。


日本が直面する真の危機
 経済不振と国際社会での信用失墜を招いたさまざまな要因を一掃したいという、日本の有権者の気持ちはわかる。それに、改革は今に始まったものではない。 19世紀半ばに西洋に門戸を開いて以来、日本は常に国際情勢の変化に応じて変化を遂げてきた。
 日本が直面する本当の危機とは、日本経済の再生を求める欧米諸国の圧力に屈し、日本的な生活を破壊するような政策を進めることかもしれない。日本を欧米 のように変える必要がどこにあるだろう。
(筆者は兵庫県西宮市に在住。著書に『日本人が知らない夏目漱石』がある)。


ダミアン・フラナガン(日本文学研究者)


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「日 本人が知らない夏目漱石」を書いた ダミアン・フラナガンさん

 「英国じゃ考えられない変な題名」。ケンブリッジ大で日本学を専攻していた一九八七年、夏目漱石の「吾輩(わがはい)は猫である」の英訳本「アイ・ア ム・ア・キャット」を手にした時の印象だ。それが漱石との出会いだった。

 ネコの視点から広がる初体験の世界、幅広い話題に織り交ぜられたユーモアと風刺…。「物事を多方面から考えさせられた。独創力が あって面白い」。漱石に魅了された理由を流ちょうな日本語で語る。

 それからケンブリッジ大と神戸大などで十六年間、漱石の研究を続けた。しかし、自分が納得する漱石論が見つからず、自ら執筆を思い立った。

 取り上げたのは「門」と「三四郎」。「門」は、漱石が否定したとされる十九世紀のドイツの哲学者、ニーチェから、実は影響を受けたのではないか。「三四 郎」で登場する奇怪な言葉「ストレイシープ」(迷羊)は、十九世紀の英画家、ウィリアム・ホルマン・ハントの絵画「雇われの羊飼い」からヒントを得たので はないか。新説を掲げて漱石の謎に挑む。

「ニーチェが影響」と新説

 執筆中、「雇われの羊飼い」は自宅のある英国の中部都市、マンチェスターの美術館に所蔵されていることを知った。「研究の行き着く先が故郷だったなんて 皮肉なもの」とエピソードも紹介する。

 漱石は一九○○年から約二年間、ロンドンに滞在したが、英国では三島由紀夫や川端康成の作品の方が知られている。英国人が日本の小説に期待する「切腹」 や「芸者」などを題材にしているからだという。

 「でも、漱石の世界の方が広がりがあり、思想も豊か。シェークスピアと並ぶ偉大な作家だ」と漱石への思い入れは強い。同時に「英国人にもっと漱石を知っ てもらいたい。日本も漱石の素晴らしさを世界に伝えてほしい」と願い、日本語による二作目の執筆のほか、「倫敦(ろんどん)塔」など英国にちなんだ作品の 英訳を目指す。

 関西が大好き。神戸大大学院在学中、阪神大震災により自宅が半壊したとき、お互いが助け合う関西の人情に触れたからだ。本の執筆も大阪のインターネッ ト・カフェで、店員からパソコンの使い方を教わりながら四年間かけて仕上げた。「そのお礼に真っ先に本を届けました」と笑顔を見せる。

 英国と兵庫県西宮市を行き来しながら研究を続ける。文学博士。独身、三十四歳。

(世界思想社 二六○○円)

ロンドン支局 小林巧

 
Copyright(c) The Hokkaido Shimbun Press. 

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文芸評論家 ダミア ン・フラナガン 今、本当の漱石が現れる

(掲載日:2003/12/09)

百年前。名もなき日本人学者が渡英し、文学を学んだ。約一世紀を経て、日本の「国民的作家」になった彼について学ぶため、イギリス人青年が神戸を訪れる。

「日本人が知らない夏目漱石」(世界思想社)。挑発的なタイトルの漱石論を、この夏発表した。「『門』にはニーチェ思想の影響が強い」「『三四郎』の重要 なテーマ『ストレイシープ(迷羊)』は、十九世紀英国の画家ホルマン・ハントの『雇われの羊飼い』から想を得た」…。確かに、日本 の研究者 にはなかった視点から、次々に新説を唱える。

「漱石と西洋のかかわりは深いのに、日本の評論家はあくまで保守的な、日本的な価値観の持ち主として、彼をとらえたがる。そんな国家主義は、漱石が最も 嫌ったものなのに」

 教科書に漱石作品が載らなくなり、千円札からも姿を消そうとしている。日本人さえ漱石を忘れようとしている今。なぜ?

 「これでやっと、日本の『国民的作家』なんていう呪縛(じゆばく)から解放される。本当の漱石が今こそ、再び僕らの前に現れるんですよ」

漱石との出合いは十九歳。「吾輩は猫である」でなく、「I Am a Cat」。そこから出発した論理は、明快だ。

 高校時代は理系志望。必修は物理、数学、化学だったが、なぜか学年で四人の日本語クラスも取っていた。「軽い気持ちで選んだけれど、そのイギリス人教師 は日本を情熱的に愛してた。今の僕があるのは先生のおかげ」

 ケンブリッジ大進学後も物理学を専攻するが、肌が合わず東洋学部へ。漱石を知る。「漱石はシェークスピアに匹敵する文豪だ」。その確信を証明するため、 さらに英文学部へ転部。だが世界文学に精通した教授さえ、漱石の名を知らなかった。

 「漱石が欧米で読まれない理由は二つ。第一に、三島や谷崎のような分かりやすい『日本らしさ』がない。第二は、日本のPR不足。イギリスは数世紀もの宣 伝を通して、シェークスピアを世界的文豪にしたんだから」

 東西を超えた宇宙観ゆえ、欧米から無視されてきた漱石。だがそれゆえに、時代を超える力を持つはず…。

書斎はインターネットカフェ。「日本人が知らない夏目漱石」も、4年通って書き上げた。「家にもパソコンはあるけれど、こもりきりじゃアイデアは浮かばな いからね」

 神戸大大学院に留学したのは10年前。震災では、六甲の自宅が半壊した。「関東には大地震が来ると聞いてこっちに来たのに。でもあのとき、人の温かさを 知った」。その後、甲子園球場近くに引っ越した。活気あふれる町に、人に惚(ほ)れこんでいる。「もうすっかり関西人です」

 来春には「倫敦塔」「カーライル博物館」など、イギリス関連の漱石の小品を英訳出版する予定。その次には、より個人的な立場から漱石についてつづった読 み物を。さらに、日本で評価されていないイギリス人作家のことも伝えたい。自分の手でフィクションも書きたい…。

 「日本と英語圏の文学をつなぎたい。『国文学』なんて壁、飛び越えて」(平松正子)

ダミアン・フラナガン1969年、英国・マンチェスター生まれ。ケンブリッジ大、国際基督教大、神戸大博士課程で学ぶ。現在は西宮市とマンチェスターの自 宅を行き来しながら執筆活動中。


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